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2002年05月13日-003
カラオケと着メロにみる特許貧困国ニッポン

 今や「カラオケ」、「着メロ」は世界に誇る日本発の文化であるのは間違いない。しかし、この二大文化が特許の恩恵を全く受けていないことは皆さんご存知だろうか?

 「世界を席巻し、シナトラやマドンナになりたいと願う人々に福音をもたらした…」と米TIME誌アジア版が選んだ、「二十世紀最も影響力のあったアジアの二十人」のひとりに、カラオケの考案者・井上大佑氏(音響機器販売会社「クレセント」元会長)がいる。井上 大佑氏は、1971年にカラオケの第一号機「8ジューク」(エイトジューク)を世に送り出し、今や日本では1兆円産業といわれているカラオケ市場の礎を作り出した。

 その25年後の1996年、業務用通信カラオケのソフトウェア開発に関わるひとりの若者が、携帯電話着信音の配信を考案する。後にいう「着メロ」の誕生である。この若者とは、株式会社レッドスター代表取締役社長の松川政裕氏。当時、業務用通信カラオケ、電子楽器の業界団体の委員であった氏は、当時はまだユーザーが自分で入力していた着信音を、通信カラオケのようにリクエストに応じて配信、有料課金することを会議の席上で提案し、統一規格を作るよう提案した。そして1999年、ついにNTTドコモのiモードで着メロの有料配信は開始され、今や1,200億円市場といわれる産業の誕生となった。

 この二大巨大産業に共通することがある。それは井上大佑氏、松川政裕氏ともに、特許を持っていないことである。インタビューに、井上大佑氏は、「当時は特許なんて思ってもみなかった」と答える。井上大佑氏の経営していた音響機器販売会社「クレセント」は、カラオケ機器の販売により年商100億円まで売上を伸ばすが、その後大手の参入に阻まれ、1億5,000万円の負債を抱えてあえなく倒産する。

 松川政裕氏は、「特許は、使われないと意味がありません。通信カラオケでは特許を持っている会社がありましたが、他の会社はいかにそこの特許に抵触しないか、苦心して技術開発していました。若造のちょっとした思いつきのアイデアで特許使用料なんて請求できる雰囲気ではなかった。特許なんてとても絵にかいた餅にしか思えなかった。それよりはサービスが普及をして、自分の思いつきが世間で通用するか試したかった」と語る。

 当時は、ビジネスモデル特許という考えは無く、常にハードと一体となった技術開発がなければ、特許として認められることは難しかった。何より、特許をとってしまうことにより、結局世に出ずに終わってしまったかもしれない。まだまだ日本では自分の権利を守り、他人に使用させないための特許取得が多い。松川政裕氏は、この点を指摘している。

 考案者、開発者のアイデア、思いつきが保護されると同時に、相互に使用され、産業発展の起爆剤になるよう法制度のみならず、特許に関わるあらゆる環境の整備が急務だろう。もしこの二大特許が成立していたならば、井上氏は100億円、松川氏で10億円を手にしていたはずであったのだから。

 

 

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