天福球場と日南球場 気候温暖な宮崎、日南地方に目をつけたのは私だけではなかった。それは、プロ野球球団である。プロ野球球団が春の開幕に向けて、その直前に実施する春季キャンプは、昭和30年代半ばまでは、あまり気候温暖などということには、とらわれなかったと見えて、巨人は兵庫県明石キャンプが長かったし、広島カープは呉キャンプでスタートしていた。 私が日南税務署在勤時には、巨人の宮崎キャンプと広島カープの日南キャンプが始まっていた。広島カープの日南キャンプがスタートしたのは38年春季キャンプからである。日南市油津の繁華街から、ちょっと奥まった所にキャンプを張る天福球場はあった。海岸からもそう離れていない。海岸沿いに老舗の料理旅館があって、そこが広島ナインの宿泊場所。旅館経営者が後に近代的なホテルを隣接地に建設し、ナインは分散宿泊することになったそうだが、現在は有力ホテル業者に買収されたと聞く。 私は、プロ野球おたくの一人でもあるから、2月の声を聞くと、日曜日のたびに天福球場や宮崎球場に愛用のキャメラを肩にして足を運び、広島、巨人のキャンプ地巡りをした。
王選手を撮った貴重なお宝写真 私のアルバム帳には、その記録が残っている。当時を振り返ってアルバム帳をめくってみると、写真は圧倒的に巨人の方が多い。もともと、巨人ファンなんだからそれも当然か。わずかに開いていたゲートからベンチを撮した写真があって、ベンチ内にはユニホーム姿にまじってカジュアルな服装をした男性がいる。思い出した。その日は勝呂誉が来ていたのだ。ゴルフ好きだそうだから、プレーのついでに立ち寄ったのだろう。写真を撮った直後に、名も知らない若手選手が走ってきてゲートから外に押し出されてしまった。その日は王選手の写真を5、6枚も撮っている。グラウンドの金網の外に、小さな椅子を持ち出して、たった一人でセッセセッセとサインをしていた。王選手の前にはサインを求めるチビッコ達の長い列。ほとんど王選手の目の前でカメラを構えたのだが、こちらは何のお咎めもなかった。勝呂誉が有名人かどうかは知らないが、そちらに気を使うよりもファンを大切にするという王選手の態度が表されていて、私に取っては貴重なお宝写真である。 広島カープでは、特定の選手を被写体にしたものはない。知名度といえば、白石監督と古葉選手ぐらいが思い当たるが、白石監督はかつて巨人の名ショートとしてならした。川上、青田、千葉あたりが活躍していた時代のオールドファンであるならば、懐かしい名前ではある。後に監督になった古葉選手は、前年に終盤まで巨人長嶋選手と首位打者争いをしていたが、終盤間際でアゴの骨を骨折し、首位打者争いから脱落している。38年春のキャンプに参加していたかどうか。 古葉選手は監督になってからは、名監督の名をほしいままにしたが、選手時代には、それほどの活躍はしていない。それなのに私が古葉選手の名を挙げるのは、同郷のライバル高校の選手で、脳裏に早くから刻み込まれた選手だったからである。 古葉選手は熊本・済々コウ高校の出身(コウの漢字をパソコンで出そうと努力したが、私の技術では無理なので、カナにした)。私は、熊本商高出身だが、古葉選手は年令では私より1年上になる。私の高校時代の熊本県下での強豪チームといえば、熊本工高、熊本商高、済々、熊本高校(熊本地方ではクマコウでは熊本工高との区別がつかないため、こちらはクマタカといっていた)の4校であった。いずれも全校生徒1、500人のマンモス校である。 当時の我が母校、熊本商高には私の1年上に江藤慎一選手がいた。彼は後にセ・パ両リーグを通じてのリーディングヒッターになる。すなわち、古葉選手と江藤慎一選手は同期であり、高校時代から戦っていたライバルでもあったのだ。
熊商の応指導はライバル校OB 熊本商高と済々は、毎年秋になると両校だけの定期戦を行っていた。済々は古葉、末次を中心とした打線が売り物、一方の熊本商高は浜田、江藤の好バッテリーが売り物。いずれの年も接戦だった。応援合戦も華やかなもので、両校とも全校生徒が総出で応援する。 「フレー、フレー、クマショウ」「フレー、フレー、セイセイ」 ある年、どうしたきっかけからか知らないが、全校生徒を集めての応援の練習に、現役の早稲田大学の応援部員だという人が指導に来た。なかなかの美声で遠くまで響きわたる。拍手での波を打つような強弱のつけ方もどう身振りで指示して堂に入っている。今年は応援合戦ではひけは取らないぞと、自信を持ったものだが、出身高校を聞いて驚いた。ライバル校済々の出身だったのである。 いよいよ、定期戦の当日。当日は熊本商校が一塁側、済々が三塁側にベンチ入りし、それぞれの応援団も自軍側の内野観客席に陣取った。もちろん、入場無料で球場近くの人達やOB達も入場できる。 かの早大生現役応援団員は、どちら側に行くのかなと思っていたら、なんと、熊本商高側の応援席に入り、応援団長役で「フレー、フレー、クマショウ」とやっている。 済々OBとしてのジレンマはあったかも知れないが、応援を指導してきたという責任感の方が強かったということであろう。 もっとも、熊本商高も江藤選手がいた頃はよかったが、卒業したとたんに反動がきて腑抜けみたいになり、私が3年生になった時は、私のクラスで唯一の野球部員だった福井君が敗戦処理投手として、公式戦初登板するなどしている。 今でも腑に落ちないこともある。当時の熊本商高の野球部監督は、報道では珠算科目担当教師の渡辺先生ということになっていたが、実質は元巨人軍にいた熊本商高OBの緒方投手が指導していたのである。私達生徒は緒方元投手の方を野球部監督、渡辺先生の方は野球部顧問といっていたが、これの方が本当のところなのであろう。まだまだ、プロとアマの仕切りの壁が厚かった頃のことだから、対外的には渡辺監督で押し通す以外になかったのかも知れない。
地元に心くばりするカープ プロ野球の春季キャンプ地は、巨人、広島が先鞭をつけた形になって、以後、続々と温暖な地にキャンプ地を求めることになる。南九州では串間市にヤクルト、鹿児島鴨池球場にロッテなどである。 暖かさでは、我が国では、沖繩県に敵う場所はない。キャンプ地としては、こちらが最適であろう。事実、現在ではかなりの球団が沖繩で春季キャンプを行っているが、広島カープなどのように、2月中旬まで沖繩で一次キャンプを張り、以降は日南で二次キャンプをして総仕上げに持っていくという、二段階に分けている球団も多い。かつてのキャンプ地としての地元との結びつきも大きいからなのかも知れない。 ちょっと以前に、広島カープナインがよく利用しているという油津繁華街のパブスナックの関係者が上京してきて、私の事務所に立ち寄ったことがある。このスナック関係者とは、日南税務署在勤中に知り合ったが、年賀状のやり取りなどは、その後も続いていた。 「広島カープの陣中見舞いに、ビール券を届けようと思うんです。一緒に東京ドームに野球を見に行きませんか」 「今日、明日ったって巨人戦ですよ。プラチナチケットが手に入るわけがないでしょうが…」 「チケットは全然心配いらないんです。以前にもマネージャーを呼び出して貰って、届け物をしたことがあるんですが、すぐに観客席に案内してくれましたよ」 「ヘエー、ホームグラウンドでなくても、ちゃんと球団用の観客席というのは用意されているんだ」 単なるナイン達の遊び場所に過ぎない、あまり関係なさそうな業者であっても、心くばりをする広島カープ。これはキャンプ地元との結びつき以外の何ものでもないのではなかろうか。 この原稿を書いている今日時点で、もう、今年のパ・リーグ公式戦ははじまっている。 来週からはセ・リーグ公式戦が始まる。オープン戦の戦績は悪かったが、下馬評では圧倒的に巨人が強いのではないかと言われている。昨年もそうだったが、打線の破壊力が違う。唯一の不安は、投手力。かなり使い古されてロートル化が目立ってきている。本文が掲載になる頃は、序盤戦での結果は出ているわけだが、巨人ファンとしては、ちょっぴり気がかりではある。
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