ゼイタックス

7.「国への帰属意識の欠如」が納税主義の希薄さを生む

 クロヨンと称される所得捕捉率の不公平があることは確かである。その一因として国税職員の定員増が確保できないことによる実調率の低下がある。また、わが国では、納税は国民の義務であるという納税意識が育まれてこなかったことも、申告納税制度の下では致命的なことである。つまり、納める側の意識と徴収し管理する側の体制の不備が所得捕捉率の不公平を生み出している要因ということになる。

 いまや解決策のない袋小路に入り込んだ感がある。そもそも、所得捕捉率の格差があることは仕方がないことではないのか。自ら申告することによって、お上から一方的に税金をむしりとられる制度ではなく、申告納税制度という民主的なシステムのプラス面を考えれば、所得捕捉率の格差など些細なことではないのかという疑問も湧いてくる。

 この連載を読まれた国税OBの某大学教授が興味深い指摘をしてくれた。それは、

「クロヨンというのは、バブル崩壊以前の事業者が左ウチワで稼いでいた景気のいい頃の話。いまや青息吐息の事業者ばかりなのだからあまり意味がないのでは」

というものだ。企業も7割が赤字の不況の中で、事業を継続することさえ難しい事業者がほとんどだ。

 それに比べれば、冬のボーナスも最低の伸び率とはいえ安定的な収入があるサラリーマンのほうが幸せだということなのか。クロヨンを議論する前提条件が違ってきてしまったということではある。確かに、10数年前のバブルの頃のクロヨンの不公平感と今のそれでは大きな違いがあろうが、それは景気動向などからくる結果であって、不公平は敢然としてあって、どうすれば解決できるのかという問題なのである。

 「サラリーマンと違って個人事業者の収入は安定していない。特に、農業は後継ぎが少なくて年々減っている。このような状況のなかでは、捕捉率以前に収入がなかなか確保できない個人事業者の実態も考慮する必要があるのでは」と教授は言う。

さらに続けて

 「とはいえ、所得捕捉率に格差があるのはいいことではない。問題なのは、納税は国民の義務であるという納税道義の希薄さではないか。その要因は国に対する帰属意識が欠如していることにある」との問題点を指摘してくれた。

 確かに、我々が日本国民の一員であるという意識を持つことは極めてまれだ。オリンピックをはじめ国際競技などで「ニッポン、チャチャチャ」ではないが、自然と湧き起こる日本チームを応援しようという気持ちは、普段の生活の中ではほとんど感じられない。小さな趣味のサークルの中では一員であるという確信が、そのサークルの維持に必要な会費を喜んで出す気持ちにつながるが、一員という自覚がない日本という国のための会費である税金を自主的に正しく収めろということが無理なのだろう。

 それでは、国に対する帰属意識を高めることが最も重要なテーマとなるが、それは本稿の手に負えるテーマではない。所得捕捉率の問題の根底に「国への帰属意識の欠如」があるということを踏まえて連載を進めていきたい。「納税道義の希薄さ」も同様である。これらを育むことは、教育や政治、経済、社会保障をはじめ歴史、風土など社会全般にかかわる問題であろう。ではどうする、所得捕捉率の不公平は…。

(続く)

8.「課税の不公平」は甘受せざるを得ない?