ゼイタックス |
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8.「課税の不公平」は甘受せざるを得ない? | ||||||
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本連載は所得捕捉率の不公平があることの原因を探り、その不公平を直すための方法を見つけることがテーマだが、これは「課税の公平」を実現する道でもある。つまり、本連載ではたまたま所得捕捉率の不公平を取り上げて進めてきたが、法人税や消費税、相続・贈与税など税制全般に関わる不正、脱税を少なくしようというテーマでもある。 これまでみてきたように、所得捕捉率の不公平さは、税金を徴収する税務行政側からみれば、国税職員の確保がままならず実調率の低下が一因との見方もできる。しかし、それではどれだけ国税職員を増やせば解決できるのかという疑問も浮かぶ。費用対効果を考えればむやみに増やしても仕方があるまい。不公平を正すためには赤字でいいという意見は受け入れられない。 また、民主国家の下では、税金は自らが計算して納めるという申告納税制度以上にいい制度は考えられまい。すると、申告納税制度の長所を受け入れるためには、一部の不心得者が出てくることは制度のシステム上、欠点として容認しなければならないのかもしれない。国税局が限りある人員によって最大限に努力してもらうことで可能な限りの不正摘発を願い、当局の網の目を逃れた脱税者もいつかは見つかるだろうということで我慢する。 すると、「そうそう世の中は思い通りにはいかないのだよ」、という達観した人生訓で「課税の公平」という問題を処理することになるが、それでいいのだろうか。所得捕捉率の不公平を是正する方法がほかになければ、我々はかなり暗い気持ちで社会の現実を受け入れざるを得ないが、本当にほかには方法がないのだろうか。 所得捕捉率の不公平さの原因を納税者側からみた場合は、納税は国民の義務であるという「納税道義」の希薄さがあって、それは日本国民であることの帰属意識の欠如が根底にあることを書いてきた。また、国への帰属意識や納税道義を育むための方法を考えることは、本稿の手に負えるテーマではないことも正直に認めた。 国への帰属意識や納税道義を育むためには社会全体の長い年月をかけた絶え間ない努力が求められる。と書きながら、本当にそんな日がくるのだろうかという疑念も湧く。特に、日本国民であることの帰属意識は、国際化といういつでも自由に海外へ行ける時代のなかではますます薄くなるのではないか。現実に、老後は海外で過ごすという人たちも珍しくない。日本がいやなら外国があるさ、というわけである。 ちょっと待て、そのような海外移住ができる余裕のある人はいいが、それができない大多数の人たちはどうするのだ。いつ実現できるかおぼつかない国への帰属意識、納税道義を夢見て、課税の不公平を甘受しなければいけないということなのか。そんなことはない。だからこそ、本連載を続ける必要があるのだ。ここまでみてきたように、税務当局による捕捉率の向上、国への帰属意識や納税道義の高揚は早急に期待できない。 ここまでは納得していただけたろうか。ではどうするの、というところで、今回も紙面が尽きたようだ。 |
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