硬派が二重瞼の整形手術 税務大学校初代教育官補の任をうけて、私は税大熊本研修所での寮生活に入った。 生徒の普通科24期生は160人。当時は税務職員初級試験に女性への門戸は開かれていなかったから、全員が男性である。 これだけの若い男性が集団生活をするのだから、派閥抗争が起きて不思議ではないが、意外に暴力事件というのは起きなかった。私が経験したのは1件だけ。午後11時の消灯直後に、西寮2階で大声で怒鳴り合いがするので、慌てて2階に駆け上がったら、もう、その時は、まわりの生徒達によって制止されていて、騒ぎは収まっていた。確か、殴ったのは松葉クンで、殴られたのが宮浦クンだったと思う。 生徒は、肩で風切る硬派系と、ダンスホールなどに通う軟派系に大別されるが、松葉クン、松下クン、宮地クンなどが硬派系の代表格。しかし、この硬派系は試験の成績は軟派系に比べると、ずっと良かった。 ある時、松葉クンをはじめ数人が朝の体操に眼帯をして出てきた。さては喧嘩でもしたのかと呼んで聞いてみた。 「おいおい。眼帯なんかして、どうしたんだ」 「いや、なんでもないです」 なんでもないと言われても、普段が普段である。 「喧嘩したのか?」 「いいえ、そんなんじゃないですよ」 それでも、ちょっと、理由は言い難そうなそぶりである。一人だけならまだしも、3、4人も眼帯をしているのは尋常なことではない。理由を聞いておかなければ、今度は私が主任教育官の先生達に理由を聞かれるに決まっている。 「じゃあ、なんなんだ」 「一重瞼を二重瞼にする整形手術を受けたんです」 なあんだ、そういうことだったのか。女性が二重に整形手術するということなら、分からないもでもないが、よりによって硬派の筆頭格が二重瞼の整形手術を受けるとは…。 時間になって教育係に出勤すると、やはり、この眼帯が話題になっていた。 三上さんが早速に聞いてくる。 「眼帯をしている人が何人もいるわね。何かあったの?」 「二重瞼にする整形手術を受けたんだそうです」 「あらら、そうだったの。松葉クンなんか、いつも肩で風切って歩いているのに、意外に繊細なところもあるのね」 「いいわね。私も二重瞼にしたいわ」 こちらは看護婦さんの野村さん。眼鏡をかけていて気付かなかったが、なるほど、一重瞼である。小柄で色白でチャーミングさは、それで十分に思えるのだが…。
生徒全員宛てのラブレター 生徒達は男性ばかりで、浮いた話もなにもないかというと、そうでもない。 ある時、教務係の自席に行ってみると、隣の三上さんが 「生徒宛にラブレターが来ているわよ」 と花柄模様の入った封筒を投げてよこした。こういう封筒に入った手紙というのはラブレターに決まっている。宛名を見ると、「税務大学校生ご一同様」になっている。 もう、開封されていたので、読んでみる。 「私は登下校の際に、税務大学校横の道を通っていますが、いつも朗らかな笑い声とともにテニスやソフトボールをなさっている皆さんの中に、私の恋人がいたら幸せなのに…、といつも思うのです」 税務大学校の横の道は、通り抜けると大通りに出て、その通りの向こう側に熊本商大がある。どうやら、手紙の主は、そこに通う女子学生らしい。テニスやソフトボールをやっているといえば、午後4時以降にここを通るのであろう。 午後4時から5時までは課外活動ということになっているが、特に生徒たちに「何をやれ」という目的が与えられているわけではない。各自が好きなことをやっているわけで、ソフトボールとテニスは雨天でない限りは誰かが使っている。 ソフトボールでは、職員の中にも、私の1期先輩の桑原さんみたいに、名人クラスのうまい人がいて、時には職員対生徒という対戦もあった。もちろん、選りすぐりの生徒達には到底かなわないから、手そうな生徒をピックアップして対戦するわけだが、それでも生徒達には到底かなわなかった。 選りすぐりの生徒達が手こずった相手というものもあった。市立(イチリツ)高校の女子ソフトボール部との対戦である。 税大での珠算教師が熊本私立高校の先生であったから、この対戦が実現したのだが、当時の熊本私立高校の女子ソフトボールは、インターハイでも上位になるほどの強いチームであった。対する税大チームには、高校時代に野球部員だったという高須賀クンがいて4番打者だったが、その彼でさえ、相手投手の速球にキリキリ舞い。それでも、かろうじて1対0で勝って男性チームとしての面目だけは保つことができた。 ソフトボールにしてもテニスにしても、税大のグラウンドで手軽にできるから、普段は和気あいあい、ふざけながらやっているから、くだんの女子学生も金網の外からそれを眺めて、うらやましく思ったのであろう。 手紙の宛名は生徒達全員ということであるから、教室の入り口脇にある連絡板に虫ピンで止めてはり出しておいた。
阿蘇山火口に飛び込んだNクン
ラブレターといえば、こういうこともあった。 秋峰クンか厚地クンかどちらかは忘れた。少女雑誌に「お便りください」の読者投稿欄があって、それに掲載されたのだという。それからは毎日ラブレターの山。天下一家の会ねずみ講が最盛期の頃に、本部あてに現金書留の封筒がダンボール詰になって束になって配達されたというが、それほどではないけれども、毎日20通とか30通のかわいい花柄模様の封筒が、束になって配達されてくる。それが1ヵ月も続いた。 卒業時に、どのくらい手紙がきたか聞いてみたら、 「ボストンバックいっぱいになりました」 と言っていた。 とても、全部は読めなかったと思うが、その手紙は青春の記念としてとってあるのだろうか…。秋峰クンが税大卒業後に現職の税務職員のまま第1種(上級職)試験に合格するという偉業を成し遂げている。 次は、あまり触れたくない事件。しかし、私の教育官補経験の中では、唯一の事件らしい事件であるから、一代記というからには、書かざるを得ない。 税務大学校生徒には夏休みと冬休みがそれぞれ10日間ずつある。夏休みは8月15日のお盆を中心にした10日間。その夏休み期間中に起きたことである。Nクンは高校時代に山岳部に入っていたとかで山歩きが得意。一報は阿蘇の警察署から入った。 Nクンが阿蘇山火口に飛び込んだ、幸いにして火口縁に引っかかり救助されたので、誰か迎えにきて欲しいという電話。取るものもとりあえず担任の後藤先生が迎えに行った。 後藤先生と一緒に帰ってきたNクンは顔中に擦り傷があって痛々しい。Nクンの話では、夏休みで故郷に帰って、学生時代の恋人に会ったところ、冷たくされたので悲観してその足で阿蘇に登り、発作的に飛び込んでしまったとのこと。彼は真面目で成績もいいほうで模範生であったが、その純情さがかえってアダとなってしまったようである。夏休みから帰ってきた生徒も、事件は知ったようだが、暖かく迎え入れてくれて、彼も普段の研修生活にすぐにとけ込んでくれた。 その後、彼を中心にして登山同好会みたいなものができたので、私も顧問となり、何回となく彼らと近くの金峰山に登ったりした。ご来光を拝もうと夜の登山を試してみたこともある。山頂でのコッフェルでつくったインスタントラーメンのうまかったこと。いい思い出となって今も脳裏に残っている。
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