ゼイタックス

Yomiuri Weekly 2002年10月20日掲載

マイホーム購入に朗報? 生前贈与の円滑化に疑問
優先すべきは異常な贈与税の改革

 バブル期に「争続罪産」と揶揄された相続税問題は、土地、株の資産デフレが続く中で影を潜めているが、今回は経済活性化を狙って相続税・贈与税の見直し論が浮上している。この税制改正によって、生前贈与を促し、若い世代のマイホーム取得などを通じ、景気を刺激しようというシナリオだ。しかし、「その前にやるべきことは、最高税率70%という贈与税の抜本改革」、そんな声も聞こえてくる。

税金ジャーナリスト 浅野 宗玄


「先生、二男が家を近々買いたいというので、少し助けてやりたいんだが、一定額までは贈与税がかからないという制度がありましたよね」

 都内で水道工事業を営むAさん(65歳)が、顧問税理士のところに相談に訪れた。

「住宅取得資金の贈与の特例ですね。住宅を得るために、親や祖父母から資金援助を受けたときは、550万円までは税金がかからないし、この特例ではそれ以上の場合でも、税金はかなり軽減されます」

「それじゃあ早速......」

「ちょっと待ってください、Aさん。それよりも、有利な制度が来年1月から導入されそうなんです。生前贈与の税負担を軽減して、相続の時点で税金を精算する制度なんです。生前贈与の税負担を軽減して、相続の時点で税金を精算する制度なんです。一定要件はありますが、Aさんは大丈夫です。来年までお待ちになったらいかがですか」

 正式決定は年末の税制改正を経てのことで、まだ大きな枠組みしかわからないが、Aさんのために、もう少しこの制度を詳しく説明しよう。

 2003年度税制改正では経済活性化に向けて2兆5千億円超の先行減税が実施される。そのひとつが、相続税・贈与税の一体化による生前贈与の軽減措置である。

 わが国の個人金融資産約1400兆円の53%を60歳以上の高齢者が持っている。この高齢者の資産を生前贈与することで若い世代に早めに移転し、住宅取得に充てるなどを通して経済活性化を図ることが狙いだ。

 気になる非課税となる贈与枠は、

「住宅取得の特例に限らず、現行の110万円(年間)が、おそらく1000万円ぐらいまでに広がり、その使い道は住宅取得に限らないのではないか」

 と、前出の税理士は見通す。

 この制度の基本的な枠組みは、9月3日に公表された政府税制調査会の、税制改革に向けた議論の中間整理の中で明らかになった。

 それは、生前贈与を受けた者は、選択によって、相続時に、それまでの贈与財産と相続財産を合算して計算した相続税額から、すでに支払った贈与税額相当額を税額控除する制度である。相続時点で贈与税と相続税との間の精算をすることから、いつ生前贈与しても、相続でまとめて払ってもトータルでの税額は変わらないというわけだ。

 狙いは、相続税に比べ、かなり重く課税する贈与税を軽減して、贈与しやすくするとにある。

 また、「選択」でということは、いまの贈与税制度は残る。しかし、選択した生前贈与のほうは、贈与を受けたときに支払う贈与税が軽減されるが、具体的な数字は、今後の検討に待たなければならない。

 制度適用には一定の要件がある。対象が65歳以上の親から子への贈与に限定される。子には養子も含まれるが、人数が制限されるようだ。

累積把握は可能か

 政府税調の自信作のようだが、最大の難関は、税金逃れを防ぐための税務当局による生前贈与の把握という問題である。後で述べるように、数十年の長期にわたって、贈与を把握できるかという疑問が残る。

 納税者番号制度や基礎年金番号、住民票コード(住基ネット)などが使えれば、ほぼ完璧な長期間の生前贈与の累積を把握できるが、急には間に合わない。政府税調では、「税務署の努力など、現在の執行体制で可能であることを税務当局に確認した」(石弘光・政府税調会長)と説明するが、このへんが制度の最大弱点との指摘も多い。

「現行体制でも、現金贈与自体の捕捉が難しいのに、20年、30年という長期の生前贈与の把握ができるのか」

 国税庁OBでもあり、資産税の第一人者、品川芳宣・筑波大大学院教授は指摘する。「徴税の執行側の意見聴取を十分に行うべきだ」として、政府税調が「税務当局に確認した」との言葉にも納得していない。

 事実、国税当局の中にも長期間の把握は不可能とする意見が少なくない。ある国税調査官が打ち明けた。

「いまの納税者管理は税務署単位で行っているのだから、転居などでよその税務署管内に移ってしまうと、納税者の事跡がつながらなくなる。それも、長期間に何回も転居されたら余計難しい」

 各税務署で納税者を管理する整理番号はその税務署だけのもので、横のつながりはない。税務署への移転通知を義務付ければいいのだろうが、それでも長期間にわたる資料をトータルするのは簡単ではないという。

 一般の法人・個人調査のためには、関連資料情報を最大7年間保管しておけばいい。しかし、生前贈与では文字通り"死ぬまで"保管しなければならず、その事務量も膨大となる。

 品川教授は、この生前贈与の円滑化の目的である「経済効果」にも首をかしげる。

「20年、30年と老後を過ごさなくてはならないうえ、年金や医療制度が不安だらけの今の現状を考えれば、そう簡単に子供に何千万円も生前贈与するとは考えられない」

金持ち向け、経済効果薄い

 わが国の65歳以上の高齢者人口は2362万人で総人口の18、5%を占めている(今年9月15日現在、総務省統計)。60歳以上ではあるが、高齢者無所得世帯の平均貯蓄現在高は2245万円だという(同)。教育費や住宅ローンなどに汲々としている働き盛り世代からすると、「お金持ちのシルバー層」という気もする。しかし、この生前贈与の円滑化は一部の大金持ちのための特例ではないのか。確かに、これで経済効果を期待するのは無理ということかもしれない。

 冒頭に登場したAさんには朗報かもしれないが、マクロ的視点からみれば、疑問だらけの生前贈与の円滑化策なのである。

 「このような特例を導入する前に、1億円を贈与すると7割が税金となる異常な贈与税の制度を、抜本的に見直すことが先決ではないのか」(前出・品川教授)

 品川教授の言わんとすることは、生前贈与を円滑化するなら、まず今の贈与税そのものを見直すべきだというのだ。

このままでは海外流出加速

 米、英、独などでは相続税も贈与税も区別なく、同様の課税方法をとっている。法人税や個人所得税が国際化の観点から税率を引き下げられてきている一方で、資産課税は日本独自の課税方法が続けられている。

 その結果、どういうことが起きるのか。元国税局調査官の税金ジャーナリスト、薄井逸走氏が指摘する。

「金持ちがハワイや米本土、オーストラリアなどに土地・建物を買って、子供に名義変更してしまう例はいくらでもある。税務当局はそこまで把握できないし、相続間近でなければ、こうした対策がバレたとしてもほとんど時効」

 贈与しなくても、子供への資産移転が可能なのだ。しかも、お金が国境を越えて自在に動き回るようになれば、この動きは加速する。これも、わが国の贈与税が高すぎるからだ、と薄井氏は主張する。

 異常な相続税制度と、国内資産海外流失の危機。わが国の経済活性化どころか、海外の経済活性化に寄与している相続税は、見直されるべき時期に来ているのではないのか。

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