ゼイタックス |
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第1回 はじめに | ||||||
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日本国憲法第30条は「国民は、法律の定めるところにより納税の義務を負ふ」として法律又は法律が委任した政令のみによって納税の義務を負うものとしています。 しかし、現実の納税義務は、一見民主的と思われる憲法上の納税義務とは乖離した状況です。 すなわち、国民が投票により選出した国会議員により法律が造られ、それによって納税義務が決まるのであれば国民は安心して国会議員に任しておけば良いはずです。 また、国会議員が、国民が恐れる税制で納税義務を負わせるのなら次の選挙で国会議員に注文をつければ良いと思われます。そのようにして、民主的な税制は構築されるものです。 しかし、不幸にも現在までは、税制を国会が造っていると思っている国民はほとんどいないと思われます。 税制は、財務省(旧大蔵省)が造り、国会はその案に賛同する機関に過ぎないと思っています。また、その法律に基づく税務調査については多くの納税者が「警察は悪いことをしなければ恐くないが、税務署は正直者も悪徳者も区別のない臨場調査を行うので恐い」と言います。 すなわち、税務調査は国税庁を頂点とした税務職員が自由に行えるもので、口答えでもしようものならひどい目にあうので、おだやかに済ましたい。なるべくならば税務調査はない方が良いと思っている納税者がほとんどです。 これはおかしいと思いませんか。 税務署員も国家公務員です。国家公務員の給料等は、正直な納税者の納税額が原資であり、かつ、公務員は「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない(憲法第15条)」と規定されています。 このように考えてくると、何故正直な納税者が奉仕者である税務署員を恐がるのか、を民主的税制および税務行政(主として税務調査)の視点から検討する必要があると考えられます。 結論的にいうと、こうした観念からは、もう脱皮すべきです。そのためには、税務官吏は国税庁開庁式(昭和24年6月10日)におけるハロルド・モス氏(当時・司令部経済科学局歳入課長)の挨拶の締めくくりとして述べた国税庁のスローガンである「正直者には尊敬の的、悪徳者には畏怖の的」に徹するべきです。特に、税務調査は権力行政として行われた面がありますが、先般成立した行政改革法により権力行政は任務行政に変わることになりました。 したがって、今後の税務調査は申告が税法どおり行われているか、否かの「確認」を任務とし、正直者は行政から尊敬されるようになるべきです。 この結論に達する道は、「お上は絶対。お上が納税者を支配する」とした観念を財務省および国税庁の税務官吏が放棄し、真の奉仕者に目覚めることにあると判断されます。 このことは、憲法どおりの税制と税務行政も含めた租税制度を樹立することを意味します。 先進諸国で「納税者権利憲章」を有しない国は日本だけです。 このような現実の租税制度を、国民主権の租税制度に変更するために、納税者は、第一に、税法としての法律は、徴税当局対納税者との関係において公平に制定されているか、徴税当局の権限拡大のみで納税者の権利保護を無視したものはないか、第二に、税務行政は、通達行政といわれる通達によって法律を侵している面はないか、第三に、税務調査は、真に申告納税の趣旨にしたがって行われているかの3点を検討する必要があります。 このコラムでの連載は、この順序にしたがって納税者の権利保護について、わかり易く述べてみたいと思います。 |
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