在庫調整は利益調整
経営者は悩みの多いものである。会社の決算が赤字になれば何とかして黒字を計上しようとし、黒字になればなったで、納税資金を心配して黒字を減らそうとする。 このような中、予想外の黒字決算になることが分かると、経営者は安易な方法で黒字減らしをしようとする。在庫(棚卸高)調整がそれだ。決算期末の在庫を減額すれば、製造原価や売上原価は上昇し、当期利益は減少する。 請求書や見積書を用意する必要もなく、領収書を書き換える必要もなく、単に棚卸表の数字を書き換えるだけで済むので、棚卸高の調整は決算期末最後の利益調節に使われるのだ。
在庫表(棚卸表)の確認
田端商事は電動工具やその部品を販売する企業。前期の決算では苦し紛れで棚卸の数字を減額した。とにかく納税額を減額して翌期の資金繰りを楽にしたい、翌期末で棚卸の数字を元に戻せばいいだろう、と考えたのだ。 しかし、税務署の目はだませなかった。 「前期末に比べると棚卸高が大きく減少していますが、何か理由はあるのでしょうか」 調査に訪れた調査官は最初から棚卸に注目して質問した。 「このような不景気ですから、在庫を減らすことにしたのです」 経理部長は内心『気づかれたのか……』と思いながらも、冷静に答えた。 「主にどんな商品を減らしたのですか」 「特に減らした商品はありません。全体的に少しづつ減らしました。5台在庫していた物は3台に、3台あった物は2台に、という具合です」 「棚卸原票を見せて下さい」 棚卸原票とは、実地に在庫調べをした時、現場で記入された帳票のことをいう。安易に棚卸高の数字を減額した場合には、棚卸原票とこれを集計した棚卸表の数字に食い違いが生じる。棚卸表を書き換えても、その原票までは書き換えないからだ。調査官はこの点から棚卸高を調査するつもりなのだ。 「棚卸原票はきちんと保存しています。どうぞ調べて下さい」 経理部長は自信満々で棚卸原票を調査官の前に積み上げた。経理部長は調査があることを予測して、棚卸高を減額した金額に見合った分の棚卸原票を破棄していたのだ。 「この前の年分の棚卸原票も見せて下さい」 「前年分もですか」 前年は棚卸高を1円たりとも調整していないので問題はないのだが、経理部長は調査官の意図することが分からず、尻上がりの答をした。 「棚卸高は前年のおよそ半分になっていますが、棚卸原票の厚さは2割位の減ですね」 調査官は積み上げられた2年分の棚卸原票の嵩を左右の手で測りながら尋ねた。 「そんな方法で測って、棚卸高が半減していないというのですか。きちんと棚卸原票の内容を見て下さい」 経理部長は呆れたと言わんばかりで答えた。 「在庫を全体的に減らしたのですから、棚卸原票の枚数は大きく変化しないと思います」 ベテランの調査官らしい指摘だ。棚卸原票の記載方法にもよるが、取扱商品の品目が減らなければ、棚卸原票の枚数は減少しないのが普通だ。 「この棚卸原票は商品ごとの数量を調べたものですから、同一商品の在庫を減らしたのであれば、棚卸原票の枚数は同じと思います。それとも、売場面積を縮小したのでしょうか」 「売場面積は変わりません」 「そうすると、どこかに間違いがあるのではないでしょうか」 「そんなアバウトなことを言わないで下さい。棚卸は正確です」棚卸原票を集計した数字に自信のある経理部長は抗議めいた返事を返した。 「前年分と比較しますと、『倉庫西側1』から『倉庫西側6』の棚卸原票が無いようです」 「在庫を減らしたので、ゼロだったのです」 「ゼロならゼロという棚卸原票があるのではないでしょうか」 「多分、省したのでしょう」 在庫有り高は日々変化する。期末の在庫を数ヵ月後に調べようとしても調べようがないだろう、との思いがあるとこんな言い逃れになる。
商品の追跡調査
「前年の棚卸原票を見ますと、『倉庫西側1』には発電機がありました。今回、発電機の在庫はなかったのですか」 「無かったと思います。何しろ在庫を減らすように努力しましたから」 「そうですか。そうであれば、商品を一点づつ追っていかなければなりませんね。発電機はどこから仕入れているのですか」 「発電機は日暮里電機から仕入れています」 「日暮里電機の請求書綴りを見せて下さい」 「請求書ですね」 経理部長は、請求書を見てどうするつもりなのだろう、と思いながら請求書を用意した。 「3月10日に『DVD35』という発電機を仕入れていますが、これを売ったのはいつでしょうか」 「発電機の売り先までは覚えていません。何しろ数が多いですから」 「『DVD35』は棚卸原票に記載されていませんので、3月末までには売れたと思われます」 「はあ……その通りです」 経理部長は調査官が調べようとしている方法が分かり、答に詰まった。 調査官の調査手法はこうだ。仕入れた商品が売られていれば棚卸表にはない、棚卸表に記載されているなら売られていない。だから、仕入商品の売上を追跡していけば棚卸表の適否が判断できる、というものだ。 「売上に関する請求書、あるいは納品書の控を見せて下さい」 「全部ですか。かなりの数になりますが」 「3月分だけで結構です」 「3月分ですか……」 調査官に要求されれば出さないわけにはいかない。経理部長はしぶしぶ請求書を用意した。だが、請求書の数は少なくない、1台の発電機の売上を探すのは容易ではない。 「『DVD35』の売上をコンピュータで検索できるといいのですが」 調査官は請求書の山を前にして経理部長に尋ねた。 「できないと思います。そのような検索はしたことがありません」 コンピュータに検索させたら『DVD35』を売り上げていないことが瞬時にバレてしまうので、経理部長はこう答えた。 「そうすると、売上を確認するには請求書を一つずつ見ていかなければなりませんね」 「はい。その通りです」 経理部長は安堵した。3月分だけとはいえ、請求書を全部見るには数時間は掛かるはずで、1台や2台の発電機の在庫漏れを指摘されても大きな金額にはならない。どうぞごゆっくり、という感じだ。 「それでは、売上の確認をお願いしておきましょう。3月中に仕入れた発電機の他、前年度の棚卸原票の『倉庫西側1』から『倉庫西側6』に記載されているチェーンソーなどが、いつ売上になったのか、明日までに調べておいて下さい」 「私どもが調べるのですか」 「お願いします」 「それは税務署の仕事ではありませんか」 「私は棚卸表に誤りがあると思います。3月に仕入れた商品が在庫になっていないと言うのであれば、会社側でそれを証明して下さい。つまり、いつ、どこに売ったのかを明らかにして欲しいのです」 「そんな……」 経理部長と調査官の立場は逆転した。確かに売上の有無を調べるのは調査官の仕事だが、棚卸高が正しいことを立証するには会社側が仕入れた商品が売れていることを帳票をもって示さなければならない。 ボルトや乾電池などの少額商品では売上の追跡はできないが、高額商品では可能である。しかも、棚卸高の改ざん対象になるのは、常に高額商品なのである。
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