11時過ぎの寮からの脱出 税務大学校普通化の生徒達は、全寮制のもとで、決められた規則のもとに生活している。 普通科24期生は、私達が生徒だった7年前と比較すれば、外出も自由で、随分と規則はゆるめられてはいたが、それでも午後10時の点呼があるので、門限の午後10時というのは厳しく存続していた。 午後10時になると、自室の前の廊下に出て、宿直の先生や教育官補の肩書きをつけた寮長役の私の点検を受ける。 私達が生徒の時は名前が呼ばれて「ハイ」と返事をすることになっていたが、24期の生徒は160人もいる。そんな悠長なことはやっていられないから、部屋の入り口に掲げられている名札と廊下に並んでいる人数を確認するだけだったが、さすがに、点呼に間に合わないとう生徒はいなかった。 問題は午後11時に消灯した後である。11時になると配電盤のブレーカーを落として、廊下の薄暗い保安灯を残して各室の電気は消えてしまう。自室の電気が消えないのは教育官が泊まる北寮の宿直室と西寮の私の部屋だけ。正門と裏門、そして寮の建物の出入り口には鍵がかけられる。 生徒達は暗闇の中でかごの鳥になってしまうわけだが、誰でも規則があると、それを破るスリルを味わいたいと思うのは自然の成り行きであって、24期の生徒達も例外ではなかった。11時過ぎになって脱出を図るのである。 各寮とも窓に網戸はない。刑務所ではないから鉄格子も当然にない。1階の窓を開けると地面までは150センチぐらいのものだから、飛び降りて脱出を図る。構内は1メートルほどの金網で囲われているが、これも乗り越えて外出する。 彼らの目的は屋台のラーメン屋。11時過ぎになるとチャリン、チャリンとチャルメラの音を響かせながら、この屋台は必ずやってきて、税大の横の道を通り抜けると、50メートルほどはなれた大通りの角で屋台を止めて開店する。近くにマンションや集合住宅などはなかったから、どうも、ターゲットは税大の生徒達だったのだろう。 確かに午後5時に夕食だから、この時間になると腹は空く。ましてや18歳前後の若者ばかりだから、無理もないことだろう。 私も生徒達が外出しているのは知っていたが、別に注意するほどのことでもないと考えてそのままにしていた。しかし、ドジなやつもいるもので、窓から飛び降りる際に、足をくじいてしまった生徒もいた。
消灯後の薄暗い明かりの下で勉強も...... 消灯で思い出すのは古川クン。いつも消灯後に廊下に出て、薄暗い明かりの下で勉強していた。消灯後に勉強するのも規則では御法度だから「目が悪くなるぞ。もう寝ろ」と注意するのだが、その時は部屋の中に戻っても、10分ほどして巡回してみると、また、廊下に出て勉強している。 彼の勉強の虫ぶりは教育官室の先生達の間でも話題になっていた。 「何であれだけ勉強して成績が上がらないのかなあ」 「要領が悪いんじゃないですか。ポイントの捉え方がずれていれば、いくら勉強しても、試験の成績は上がりませんよ」 「遊んでばかりいるやつが、試験の成績だけは良かったりしてね」 「もっと、要領よく勉強できないかなあ。努力が報われていないもの」 真面目人間を絵に描いたような生徒だったが、こういう生徒も中にはいたのである。
オートバイの練習 税大には、古ぼけたオートバイが1台あった。 何の目的でこのオートバイが車庫の片隅に置いてあったのかはわからない。現在もこのメーカーが存続しているかどうかは知らないが、「アサヒ」という車種で、250ccくらいの大型のものである。 教務係の桑原さんは私より1年先輩。2輪免許を取っていて、自分のオートバイを持っていたが、税大の車庫の片隅で眠っていたオートバイが気になっていたようである。 「折角、オートバイがあるんだから、生徒達にオートバイの練習をさせたらどう?」 「私ですか? 私は免許を持っていないんです」 「簡単よ。じゃあ、教えてあげるよ」 幸いにして、ソフトボールぐらいはできる広さのグラウンドが税大にはある。 税務署の第一線でオートバイを乗り回すということは、私のこれまでの経験でもなかったけれども、自転車は、どこの税務署に行っても各人に1台ずつ専用に配布されて、田舎に出張する際は随分と使った。 最初に赴任した菊池税務署では、西合志村を担当したが、所得税の概況調査で1日に10件も回らなければいけない時には、自転車なしでは調査件数をこなすことはできない。営業者はあちらの部落に1件、こちらの部落に1件という状況だから当然ではある。 その西合志村までは菊池市から約10キロの距離。途中に花房の急坂があって、ここは自転車を下りて押して登る以外にはなかった。オートバイなら急坂だってわけはないだろう。税務署も将来はオートバイが足になることが想定されないわけではない。 桑原さんに操作の仕方を教わって、オートバイの試乗をしてみたら、思ったより簡単に意のままに動くことがわかった。これなら、無免許でも私にだってできる。
自転車に乗れないとオートバイにも乗れない? 翌日から朝の時間や午後4時からの課外活動の時間を使って、生徒達にオートバイの練習をさせることにした。 まず、私が模範を示してグラウンドを1周してみせる。 生徒達に操作を教えて順番にグラウンドを1周させる。みんな無難に乗りこなしている。10人ほどが乗り終えて、次の生徒がオートバイにまたがった。 その時、うしろから声がかかった。 「先生、彼は自転車に乗れないそうですよ」 「なにっ!自転車に乗れないの?おいおい、本当か?」 本人に念のために確かめてみると、 「ええ、乗れません」 と小さい声でいう。 自転車に乗れない人はオートバイにも乗れないか。 オートバイは自転車と違ってタイヤの幅がでかい。自転車よりも倒れにくいとは思うが、どうだろう。しかし、タイヤの幅はでかくとも、2輪のまま立つことはできないから、やはり、バランスの問題なのかなあ、などと一瞬、頭の中は混乱したが、やはり、自転車に乗れない者はオートバイも操れないと考えるのが妥当なところだろう。 「自転車に乗れなければオートバイは無理だよ。キミには自転車の練習をさせるからね」 彼をおろして、次の順番にまわした。 それにしても、彼は、もうオートバイにまたがっていたのである。彼の同僚が声をかけてくれなかったら、そのまま、発進させてしまっていたところだった。グラウンドに頭から突っ込んでしまったらと思うと冷や汗が出た。 オートバイは、一度操作を覚えると、そんなに運転は難しくない。一巡したあとは勝手に生徒達に任せて、早速に食堂のおじさんの所に行った。税大にはどうしたことか職員用の自転車がなかったので、食堂のおじさんが食材の仕入に使っている自転車を借りようと思ったのである。自転車に乗れない生徒は、オートバイどころではない。ぜひとも、乗れるようにして送り出してやらなければならない。 食堂のおじさんはが使っている自転車は、後ろの荷台が大きくて不格好ではあったが、練習用だからそんなことはどうでもよい。 私がうしろの荷台を支えて、彼の自転車乗りの練習が始まった。
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