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第18回 領収書(2)

 領収書は金銭の受領を証するものであり、購入した品物の内容を証する証憑ではないから、購入した品物が分からないと言う理由で領収書を否定することはできないのだが、レシートを領収書に書き直してもらう裏には何かがあるのは事実だ。

 大井商事の税務調査では、レシートを領収書に書き換えてもらったことが「何か都合の悪いもので経費を落とそうとしたのではないか」と疑われたのだが、次には領収書そのものが疑われた。

筆跡の同じ領収書と伝票

「出金伝票と同じ筆跡の領収書があります」調査官は出金伝票と領収書を並べて経理部長に見せた。
「似たような字は多いですからね」経理部長は簡単に答える。
「出金伝票を書いたのは専務、つまり社長の長男ですね」
「伝票に押印してある通りです」
「領収書の字も専務のものですね」
「そうかもしれません」
「専務だからこのようなことができるのではありませんか。他の社員が同じことをしたら認めるのですか」
「社員を信じています」
「白紙の領収書に専務が数字を記入したのですね」
「そうかもしれません」
「この領収書を認めることはできません。20万円なのか2万円なのか、まったく分かりませんから」
「ウソを書くはずがありません」
「ウソではない証拠は何ですか」
「証拠は……領収書です」
「白紙の領収書に書き入れた金額では証拠になりません」
「白紙の領収書をもらうこともあります」
「白紙の領収書を受け取ってはいけません」
「いけないと言われても、そんなこともあるのですよ。それが現実です」
「金額が記入されていないのは、ゼロという意味ではありませんか」
「金額を任されているのです」
「領収書に任された金額というのはありません。金額を勝手に書いたものは無効です」
調査官の指摘の通りである。金銭の受領者が金額を書き入れていない領収書は信憑性に乏しい。誰が領収金額を書き入れようとも、その金額が事実であれば問題は無いように思われがちだが、白紙で発行された領収書の証拠能力は低い。経理部長が調査官に誘導されて「金額を任されている」と答えている通り、白紙の領収書を発行する裏にはそのような意味が込められているからだ。
 レジが混んでいたり、時間がなかったりして、白紙の領収書をもらうことがあるのは事実だ。だからといってこれを悪用してはならない。

同じ筆跡の領収書

「同じ筆跡の領収書があります。書店と蕎麦屋の領収書です」調査官は何枚かの領収書を経理部長に見せた。
「似ているのかも知れません」
「同じ人の字です。会社の人ですね、どなたですか。出金伝票とは字が違いますので、これとは別の人です」
「誰の字かは分かりません。たくさんいますから」
「なぜ、書店と蕎麦屋の領収書の字が同じなのですか」
「なぜですかねぇ」経理部長は他人事のように言う。
「これも白紙の領収書をもらって、適当に金額を書いたのではありませんか」
「いいえ、そのようなことはありません」
「誰の字かも分からないのに、なぜそう言い切れるのですか」
「社員を信じていますから」
「社員の書いた領収書は認められません」
「それは毎日のようにある支払いですので、白紙の領収ををあらかじめもらっていて、支払いの時にこちらで領収書を書くことになっている店です。店側も手間が省けて助かるということで、了解しています」
「領収書は相手が書くものす。これでは領収書の意味がありません」
「金額に間違いはありません」
「その証拠がありません」
「毎日のようにある少額な支払いですから、支払いの度に領収書をもらえというのは厳しすぎます。書店や蕎麦屋から『大井商事の社員は会社に信用されていない』などと言われては可愛そうではありませんか」
 確かにこのようなことはある。会社用の本と個人用の本を一緒に購入した場合、あるいは来客用の食事と社員の昼食をまとめて注文した場合に、「これとこれについては領収書がほしい」とはなかなか言えないもので、白紙の領収書をもらって、会社用の分だけ金額を記入するのだ。
 このような領収書を認めるのか認めないのか、信じるか信じないかは、調査官の経験と考え方による。先の例のように、専務が領収書を書いて出金伝票を書いている場合には、疑いの方が先行しようが、少額で領収書を書く社員と出金伝票を書く社員が異なる場合には、何らかの社内牽制が働いていると考えることができるから、金額に信憑性が生じる。

領収書の通し番号

「小泉工務店の領収書ですが、通し番号が近いですね」調査官は修繕費の領収書を見ながら尋ねた。
「支払いが続いたものと思います」
「5月、7月、12月と支払いがありますが、領収書の番号はいずれも2番しか違いません」
「そんなこともあるのですね」
「信じられません。小泉工務店は8ヵ月の間に5枚しか領収書を発行していないということになるのですよ」
「工務店のことは分かりませんが、不景気なのでしょうね」
「いかに不景気でも、領収書が月に1枚以下ということはないでしょう。思うに、これら3枚の領収書は金額を分けてもらったのではありませんか。工事費を修繕費で落とすために」
「そ、そのようなことはしていません」
「修繕の内容が分かる書類を見せてください。この3回分全部です」
「見積書と請求書があります。いずれも社屋を修繕したもので、資本的支出に該当するものではありません」経理部長は資本的支出に該当しないと先回りして答えたのだが、先回りして答えた裏には資本的支出を意識していることがうかがえる。
「この3回とも同じような金額ですね。1回の支払いを3分割したような金額です」
「たまたま似たような金額だったのです。金額に意図はありません」
「通し番号が近く、金額が似ていますから、工事費を修繕費で落とすために領収書を分割したものと考えます」
「見積書もありますし、請求書もありますから、これらの点から判断してくださいませんか」
「領収書を分割するぐらいですから、請求書は何とでも書けるでしょう」
「そんな……決め付けないでください」
「これは小泉工務店を反面調査すれば直ぐに分かることです。領収書の控えを見れば番号と日付の関係は簡単に分かります。小泉工務店が脱税ほう助をしていたことは明らかです」
 調査官は強気だ。工務店の領収書で番号が続いていたり近かったりするものは、一つの支払いについて金額を分割して領収書を発行してもらったに違いないのだ。「ほう助」という言葉を出すと経理部長はおとなしくなり、反面調査の必要はなくなる。
 通し番号が付けられている領収書は少なくない。社員の不正防止と偽造防止が主な理由だが、このような場面では脱税や摘発効果もある。工事費を修繕費で落とす脱税や、機械を消耗品費で落とす脱税は領収書の通し番号から発覚することもあるのだ。
 ならば通し番号を付けていない領収書をもらえばいいのだろうと脱税者は考える。調査官と脱税者のイタチごっこはこうして繰り返す。

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