ゼイタックス

1話 青い背広で初出勤

   昭和33年。私が税務講習所熊本研修所での1年間の研修生活を終え、税務署員としての第一歩を記した記念の年である。当時はどういう世相にあったのだろうか。
 社会的にみると、終戦の痛手からやっと抜け出して、復興のきざしが軌道に乗り始めた頃といっていいのであろうか。人の心にもゆとりが見られるようにはなっていた。
 プロ野球ファンであるならば、あの長嶋茂雄選手が、ルーキーとしてデビューを飾り開幕戦で国鉄スワローズ金田投手に4打数4三振を食らったのを覚えておいでだろう。
 ちょっと軟派系の人ならば、この年に売春防止法が完全施行になったのを思い出すかも知れない。政治家M氏は、この頃は早大生だったろうが、少なくとも前年までであったら、摘発されて指紋を取られたの取られなかったのと騒がれることもなかった筈である。
 チャキチャキの江戸っ子ならば、当時世界一の高さといわれた、高さ333メートルの鉄塔「東京タワー」がこの年に完成したことを誇りに思っているかも知れない。
 昭和33年はそういう年だったのである。

赴任先は菊池税務署直税課所得税係
 私の赴任先は、地元ともいっていい菊池税務署。熊本市内からは約30キロほど北方に位置する菊池市に税務署はあって、菊池市のほか菊池郡下の各町村を管轄する署員40人ほどのちっぽけな税務署である。所属は直税課所得税係だという。
 赴任日に、一張羅の青い背広に袖を通すと、どうにか税務署員らしき格好になった。大方の生徒は、研修生活の1年間を高校生活の名残りの学生服で過ごしてきたのである。研修生活も終わりに近い12月になると、学校側から丸坊主の生徒には、髪をのばし始めなさいと注意があり、12月のボーナス支給日には、特約の洋服店が待機していて、一斉に背広の注文をさせられる。何しろ研修中の給料は月額4,300円、地域手当が1割ついても、3,000円ほどの寮費、食費を差し引かれると、いくらも残らない。背広を新調できるのは、12月のボーナスだけなのである。ほとんどの人が青い背広を新調したのは、♪青い背広で心も軽く~と大流行の流行歌の影響でもあったのであろうか。
 青い背広で税務署の門をくぐると、署員の好奇の目が一身に集まった。大体が終戦直後に大量に採用された人達で、若い人がいないのである。
 直税課は、直税課長のもとに所得税係8人、法人税係4人、資産税係2人の布陣。そして、私の所属する所得税係のメンバーは、平井係長のもと、坂梨、永杉、山本(羆)、甲斐、堀内、吉田、山本(安徳)の各氏、そして末席に私がすわった。この署は人数からいっても所得税係中心であることがわかる。メンバーのうち、吉田さんだけが独身女性で、あとは既婚男性ばかり。すぐ上の山本安徳さんが私より6歳上であったから、19歳の新人に好奇の目が集まるのは仕方がなかった。
 所得税係には山本姓が2人いたので、皆は名前で呼んで区別していた。私のすぐ上の山本安徳さんは、正確にはヤマモトヤスノリと読むのだろうが、誰もがアントクさんと言った。歴代天皇の中にこの名は出てくるから、自然と口にするようになり、定着してしまったのだろう。そういえば、歴代天皇を丸暗記させられた年代の人達ばかりである。もう一人は40代半ばのベテラン職員、山本羆さん。みんなシグマさんと呼んでいた。ある時、誰かがシグマではなくてヒグマと読むのが正しいのではないかと本人に問いかけていたが、ご本人は頑としてシグマだと言い張っていた。ちなみに、この連載で使用しているパソコンで、シグマで検索しても、この漢字は出てこないが、ヒグマだと出てくる。一体、どうなっているのか、今もって分からない。
 もっとも、熊本地方は江戸っ子と同じで、シとヒの区別がつけにくい面はあるみたいで、七はシチともヒチともいうし、車に轢かれるはシカレルでもヒカレルでも通用する。ましてや名前だし、本人がシグマが正しいといえば、辞書にどう書かれていようが、それでいいのかも知れない。

下宿は有力政治家松野の家系
 赴任当日に、早速、アントク先輩に連れられて下宿先に案内して貰った。アントクさんは既婚者だが、奥さんが学校の先生をしていて、別居生活。市内の原田さんというお宅に下宿していて、私と同居することになるという。
 大きな家構えの門をくぐり、座敷に通されると、40代とみえる品のいい女性が現れて、いきなり正座をさせられた。この家の主で、未亡人であることは、後でわかった。
「いいですか。原田家は松野の血筋を引いているんです。松野の家名をけがすことがないようにお願いしますよ」
 松野の血筋というのは、地元出身の有力政治家、松野鶴平参院議長、松野頼三衆院議員の父子政治家の家系ということである。
 いきなり格調高い言葉をつきつけられ、思わず
「はいっ。決して家名をけがすようなことはいたしませんっ」
 と、頭を畳につけぬばかりに最敬礼をしたのが効果があったのか、無事に一員に加えて貰えることになった。もっとも、格調高い言葉はこの時だけで、衆議院や参議院の選挙のたびに、
「あなた達は松野家の一員ですからね。選挙の投票はお願いしますよ」
と、松野候補への投票を押しつけられるのであった。

キャリア署長
 赴任して、1週間ほど経った頃、直税課は誰もいなくなり、一人で留守番をさせられるはめになった。木曜日から3泊4日で部門旅行に出かけてしまったのである。与えられた仕事を一人でポツネンとしていたら、署長から呼び出しがかかった。20代後半の一橋大卒というキャリア署長だという。
「どうですか。もう、馴れましたか」
「はあ、まだ1週間ですから、無我夢中です」
「税務講習所を出た人は、ここには君を含めて2人しかいないんでね。これからは税法を系統だって学んでいる君たちが中核になる筈だよ」
「頑張ってやってみます」
「今日は直税課はね、旅行に出かけているけど、1年間、自分達の給料から旅行積立をやっていて、そのカネで行っているんでね。君も連れて行こうかという話はあったようだけど、今回はがまんしてくれないかな」
「ええ、それは結構です。私はまだ赴任したばかりですし…」
「来年からは積立もできて、一緒に行けるからね」
 なんと、署長自ら、留守番役の私をなぐさめてくれるのであった。
 温厚で人望のあったこの署長は、その年の人事異動で福岡国税局の総務課長に転任になり、さらに1年後には退職して、日本輸出入銀行に転じてしまった。今思うと、東大卒でないこともあって、早々に見切りをつけてしまったのかなとも思われるがどうだろうか。

月間20回の宿直当番
 30人ほどで、丁度1ヵ月に1回の割でまわってくる。しかし、真夜中に起きて巡回をするのがいやで、あまり、やりたがらない。下宿生活の私に、代わって宿直をやってほしいというのである。アントク先輩も下宿生活だが、既婚者だし年齢も上なので、いきおい独身の私に依頼は集中する。とうとう、月間で20回も宿直をするはめになった。1回の宿直で260円だったから、20回もやれば1ヵ月の下宿代が出る。
 ある日、総務課長から呼ばれた。
「宿直はやっていいけどね。連日というのはどうかな」
「私は別に苦になりませんけど…」
「若いからね。大丈夫だろうけど。宿直日誌に連日、君の名が出てくるのもおかしいからね。宿直してもいいけど、連日になる場合は、その人の名前でやったらどうだい。給料日にその人から集金すれば同じだろう」
 前月に宿直をすれば、宿直料はその翌月の給料明細の中に記載されて、給料と一緒に支給される。そこから自分で集金しろというのである。
「はあ、これからそのようにします」
 ものわかりのいい総務課長もいたものである。以後も月20回近いペースでの宿直の頻度は続いたが、給料日の集金という私の新たな仕事が加わったのであった。

2:宿直勤務にまつわる出来事