初めて遭遇した業種 日南税務署所得税係に赴任して、初めて遭遇した業種がある。日南税務署管内にあって、これまで勤務していた菊池税務署管内にないもの、それは漁業である。菊池税務署管内に海に隣接する所はない。菊池川があって、川で漁をする人はいたかも知れないが、専業ではとても成り立つものではない。日南税務署管内には、南郷港、大堂津港、油津港など有名な漁港があって、中でも南郷港と大堂津港はカツオ船の母港でもあり、港の周辺には鰹節の製造工場などが沢山あった。 漁業の所得調査はどうしていたかというと、所得税確定申告期が始まって間もなくの2月20日前後に、所得税係員全員で漁協に出張して、船主に来て貰い、納税相談を兼ねて集中的に調査するのである。 南郷港を母港とする鰹船は39トン級、大堂津港の鰹船は19トン級と規模に大小はあったが、いずれも漁場は種子島近海。エサの子鰯をまいて鰹をパニック状態にしておいて疑似針で釣り上げる一本釣りの漁法である。漁場に3、4日出ては、近くの枕崎漁港などに水揚げし、とんぼ返りしてまた漁場に向かうという繰り返しが3月から9月いっぱいまで続く。もちろん、母港周辺にも鰹節製造工場など鰹で生計を立てている人がいるから、たまには母港に帰ってきて水揚げすることもある。 感心したのは、どこの漁港で水揚げしても、セリ代金は必ず母港の漁協に設けられている船主の預金口座に振り込まれること。船名ごとに口座があって、漁期間中の水揚げ総額はすぐわかる。
ユニークな水揚げの分配計算 日南税務署での出張納税相談の口火を切るのは、いつも、南郷漁協であった。漁協の建物の2階の畳敷きの間に設けられた会場に、船主は水揚げの分配計算を記録したノートや領収証などを持ってやってくる。 そのユニークな分配計算の方法はこうなっている。 漁船の漁期での水揚げが1千万円だったとしよう。まず、これから共通経費が差し引かれる。 共通経費というのは、船主も漁船員も双方が負担すべき経費というもので、食料費、燃料費、エサ購入費などである。共通経費に200万円がかかったとすれば、これを差し引いた800万円が船主と漁船員で分配する金額になる。 このうち6割が船主の取り分になるから480万円が船主、残りの4割の320万円が漁船員の収入となる。39トン級に乗り込む漁船員は20数名。25人乗り込みの漁船だと320万円を25で割った金額が1人当りの取り分かというと、そうではなくて、船長、機関長、漁労長など肩書きのついた乗組員は2人ク、とか3人クといって、2人前、3人前の分け前を貰える。クという字はどう書くのか知らないが、恐らく口の字を書くのだろう。 面白いのは機械器具も分け前を貰えることである。「魚探の目」といって魚群探知機が1人クの分け前を貰える。「ロランの目」というのも1人ク。ロランというのはローラン局が発する電波を受けて、船の位置を計算する装置のこと。現在は上空に人工衛星があって、乗用車にもカーナビが取り付けられ、自分の進むべき道路が分かる時代だから、船舶も衛星電波を利用する時代になっているのかも知れないが、当時としては、重要な役目を担っていた機械装置であった。 機械が現ナマを手にしても、機械自体はそれでもっておいしい物を食べるわけにはいかない。彼らの分け前はどこに行くかというと、船主の懐に入ることになる。精密機械はガタがくるのも早いだろうから、来るべき更新時期に備えようという知恵だと思われるが、簿記的にいうと減価償却費引当金や修繕引当金を設けたのと同じ効果がある。すばらしい発想ではある。 船主は、分配金の6割を手にした上に、機械装置の分け前も合わせて貰えるから、随分と有利にもみえるが、鰹船を建造するとなると当時でも4、5千万円の膨大な金額がかかっていたから、減価償却費を考えるとそんなでもないのである。船主の得は、その取り分から船舶や機械装置の減価償却費を差し引いて算出する。
休漁期は失業保険受給の漁船員 船主も年に1度の確定申告であるから、攻防も必死。 「餌代の領収証がないじゃないですか。ノートに記載しただけでは経費には認められませんよ」 「たまたま、無くしてしまったんです。引いてください」 「ノートだけじゃ証明にならないでしょう。勝手に書けるんだから」 「じゃあ、なんですか。エサがなくっても鰹は釣れるというんですか」 鰹のエサは子いわし。釣り針につけるのではなくて撒き餌にして使う。エサは子鰯が取れる天草近海の業者から買う。 「そうは言っていないですよ。金額がわからないと言っているんです」 「ノートに書いてあるでしょうが…」 「30万円で済んだものを60万円と書いたらどうなりますか。僚船のエサを貰ってきて、買ったように記載したらどうなりますか」 「あなたね。漁場は戦場と同じですよ。たとえ僚船であっても私達にとっては敵なんです。エサを融通しあうことなんかありませんよ」 「じゃあ、今回は記載通りに引いておきますから、来年からは領収証をちゃんと揃えておいてくださいね」 このようなやり取りがあちこちで繰り広げられる。 「いつから漁に出るんですか」 「漁は3月からですが、いつも、確定申告が終わったらすぐに出航させています。今年も明後日の24日には出航させる予定です。最初に天草に寄って餌を買わないといけないですから」 「漁船員の人達は昨年に乗った人達ですか」 「ええ、今年も全員そろいました」 「釣り子の人達は漁が終わる10月には陸に上がるんでしょう。それから翌年の2月までなにをしているんですかね」 「半農半漁の人達が多いですから、農業の手伝いをしたりいろいろですよ」 「船主さんは、彼らに小遣いをやるようなことはないんですか」 「こちらが貰いたいぐらいです。彼らは陸に上がっている期間中、失業保険を貰ってますから、優雅なものです」 なになに、10月から翌年2月まで失業保険受給だって?そんなことができるのか。こちらは、年休もろくろく取らずに働いても、年がら年中ピーピーいっているのに、まったく国のやることは納得がいかない。
納税相談終了後は慰安会 午後5時、納税相談が終わると、納税相談会場は慰安会場に変わる。菊池税務署でもそうであったが、各町村には日を決めて所得税係全員で出張納税相談に行き、最終日にはきまって各町村税務課主催のコップ酒での慰安会がある。酒のつまみといえば、せいぜいスルメかクッキーぐらいのもので、ご苦労さんでしたという打ち上げ会といったほうがいいだろう。 ここの漁協での打ち上げ会は違った。 何しろ魚の本場だから、漁協からは新鮮な魚の差し入れがある。納税相談だから当然に南郷町役場の税務課職員も会場にきていて、税務課職員によって会場の設定がなされるのだが、大テーブルのどまん中には、今朝、水揚げされたばかりという脂の乗り切った寒ブリの刺身が大皿に盛られてデンと置かれているのである。 普段は手の届かないご馳走に、みんなは我を忘れてむさぼるように喰った。 刺身を腹一杯になるほど食べたという経験は、後にも先にも、ここだけでしか記憶にない。 現在はどうなっているんだろう。例の倫理法とやらで、ちょっぴり厳しくなったのかなあなどと想像しながら書いているのだが、このくらいのことは大目にみてやって、後輩諸君にも寒ブリを腹一杯満喫させてやってほしいものである
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