ゼイタックス

7話 部門旅行で宮崎、日南へ

部門旅行でプロ野球見物
 赴任当初の部門旅行では、留守番役をさせられた私も、翌年からは参加することができた。7月の人事異動直後の給料から、すぐに旅行積立が始められ、幾ばくかのカネを徴収されていたからあたり前ではある。昭和33年当時は給料も少なかったから、毎月500円ぐらいを拠出していたのではないかと思うが、細かなことは覚えていない。どこそこの署長の退職金が30万円だそうだと、目を丸くして話題にしていた頃の話なのである。
 私は菊池税務署に昭和33年から37年まで4年間勤務したが、最初の34年春の部門旅行は福岡、佐賀、長崎のコース。平和台球場のプロ野球開幕戦、西鉄、近鉄戦を見て、当日は佐賀嬉野温泉泊、翌日は九十九島めぐりなどして長崎泊、長崎観光の後に雲仙、島原を経て帰ってくるという修学旅行でも通用しそうな典型的な観光コースだった。
 プロ野球のペナント戦はこの時初めて見た。私のひいきチームは巨人で、パリーグは今いちだが、西鉄も地元だし、もう少し記憶があってよさそうに思うけれども、この開幕戦で誰が投げたかの記憶がない。稲尾投手は前年33年の日本シリーズの対巨人戦で大活躍して、最優秀選手になったことから推測すると、34年の開幕投手といえば当然に稲尾だったろう。打者では高倉とか中西、豊田などがいたのではないだろうか。

敗戦舞踊
 その次の年は熊本県八代市に近い日奈久温泉。3年目が阿蘇杖立温泉。この2年目、3年目は殆ど宴会目的といっていい。芸達者は山本アントク先輩と資産税の赤星さん。山本アントク先輩は傷痍軍人姿で登場し、瞼の母などを踊った。傷痍軍人といえば、軍歌をハーモニカで演奏しながら縁日に立つというのが定番。現在でも東京巣鴨のとげぬき地蔵の4の日の縁日などでよく見かける。軍歌はハーモニカに代わってテープになっている。手に包帯を巻き肩から吊していて、戦闘帽こそかぶっているが、白髪もない。この人は私よりも若いんじゃないかといつも思うのだが、終戦時に私は小学1年生だから、それよりも若いとすれば、幼児の時に軍人になっていたことになる。
 資産税の赤星さんは、敗戦舞踊ひとすじである。

 ♪さげた徳利をなでな~がら……
  酔うた酔うたの千鳥あし~

 と右に左にぶつかりながら踊りまくる。
 終戦後の娯楽に飢えていた時代に、田舎で舞台がかかって、青年団の有志が踊ってやんやの喝采を浴びていた。私達はこれを敗戦舞踊といっていたが、恐らくは赤星さんも、このような舞台で青年団の一員として踊っていたのであろう。玄人はだしといえるほどうまかった。

菊池署での最後の旅行先は宮崎、日南
 菊池税務署での最後の部門旅行先が宮崎、日南。当時は新婚旅行で海外に行くということはまれであって、宮崎、日南は新婚旅行のメッカといわれた。
 実は、この最後の部門旅行が私の次の勤務地を決める最大の決め手となったのである。
 その年の部門旅行は3月末であった。出発した時は肌寒いほどであったが、宮崎に着いた時は別世界のような暖かさであった。宿の人に聞いてみると、冬でも氷が張るのは2、3回しかないという。熊本地方は九州のど真ん中で、南に位置するから暖かいのではないかと思われるかも知れないが、阿蘇の吹き下ろしで相当に冷える。下宿には風呂がなかったので、近くの銭湯に行っていたが、冬のある日、山本アントク先輩と銭湯に行き、帰って髪に櫛を入れたら、ガリガリと氷が取れたことがあった。銭湯から下宿まで、ほんの100メートルほどしかないのに、その間に濡れた髪に氷が張り付いていたのである。このような経験は、東京と比べて3度は気温が低いといわれる埼玉県大宮市に住むことになった後年においてもなかったから、いかに冷え込みが厳しいかがかる。
 宮崎では、大淀川の川岸にある共済組合旅館で恒例の宴会。翌日は青島、サボテン公園、鵜戸神宮と観光コースを宮崎交通の観光バスでまわった。海岸線をバスで南下するのだが、市街地から海岸線に出たとたんにパッと視界がひらけ、目の前に洗濯板をも想わせる岩にシブキをあげる光景が現れる。「おうーっ」とバスの乗客から一斉に感嘆の声があがった。すばらしい光景である。一幅の絵の中をバスが行くという表現になるのだろうか。
 ずっと後年になって、私が東京局マルサに在勤することとなって、珍しく10月に部門旅行をしたことがあるが、その時は奥入瀬の紅葉狩りが目的であった。その時も奥入瀬川に沿って道路の両側から覆い被さる紅葉の中をバスで行き、さながら一幅の絵の中をつき進むような感動を覚えたが、心が洗われるような清々しさは、いつまでも脳裏に焼き付いているものである。
 この宮崎、日南旅行も清々しさをいっぱい身に受けて、帰途についたのだが、帰ってすぐに身上申告書の提出が待ち受けていた。

異動の第一希望は日南
 身上申告書は、希望する勤務地や希望する仕事を記載することによって、本人の意向を当局側に伝える唯一の手段。毎年4月1日付けで本人が記入して提出する。
 田麦係長が用紙を配りながらささやいた。
「もう、4年になるのかね。そろそろ転勤だね」
「時期でしょうね。本当にお世話になりました」
「どこらあたりを希望するね」
「この前の日南旅行はすばらしかったですね。できれば日南あたりに行きたいです」
「日南ね。いいところだよ。焼酎もうまいし」
 熊本地方、特に菊池は、菊乃城、菊正宗など名だたる酒造所もあって、宴会といえば清酒である。田麦係長の出身地は鹿児島県出水市。熊本県とは県境の場所にあるが、もう、一歩県外に出れば芋焼酎の里である。宮崎県も芋焼酎の本場で、部門旅行の宴会でもお湯割りした芋焼酎ばかり飲んでいた。
「私はアルコールはいけない口ですが、気候が温暖ですし…」
「いや、アルコールもすぐにいけるようになるよ。焼酎はね。お湯割りするだろ。酒に弱い人はお湯をよけいにすればいいんだし、一番合理的なんだよ。お酌する必要もないしね」
「あの芋の匂いは初めてでしたね」
「あれがいいんだよ。本当は鹿児島の方がいい焼酎があるんだけどね」
 焼酎の話をする田麦係長の口元からはヨダレがたれそうになっている。
 いよいよ、身上申告書を提出する段になった。4年目というからには、覚悟して書かなければならない。
 第1希望、日南、第2希望、宮崎、第3希望、鹿児島と書いた。田麦係長に提出したら、一目見てニコニコと笑っている。
「おっ、鹿児島が入ったね」
「別に焼酎がうまいからって書いたんじゃないですよ」
「わかってる。わかってる。しかし、いい所ばかり狙ったね」
「私は暖かい所ばかり選んだんです。希望どおりにいくもんでしょうか」
「そうねえ、希望どおりにいく人は全体の1割ぐらいかな」
「えっ、そんなものなんですか」
「それはそうさ。誰だってへんぴな所には行きたくないだろ。しかし、誰かが行かなければならないんだから。俺も菊池にきて3年経ったから今年は動くかもよ」
「係長はどこらあたりを希望するんですか」
「決まってるだろう。焼酎のうまい所さ」
「一緒になったらいいですね」
「ハハハハ、そうね」
 そして37年7月の定期異動日はやってきた。覚悟はしていたものの辞令交付で署長から名前を呼ばれると緊張する。
 辞令を手に取って恐る恐る開けて見る。
「日南税務署直税課所得税係へ配置換えする」
 辞令には、そう書かれていた。

8:日南税務署に赴任する