ゼイタックス

第5回  社員の給与

 給料は脱税のネタになりやすい。架空の社員を作り上げて、それらの社員に給料を支払ったことにする脱税だ。他の支払と違って見積書や請求書、領収書の作成がいらないので、安易になされる脱税だ。だが、税務署もこの点は承知しており、色々な角度から架空社員の存在を突き止めようとする。
 給料の水増しは安易になされがちだが、悪質な脱税として扱われる。もちろん「見解の相違」という言い訳は通じない。

タイムカードの確認

 王子ビデオはビデオのレンタル店を多数経営する会社。事前の調査の連絡では 「売上をいくつか確認したい」とのことだったが、いきなり給料の調査となった。
「給料の計算と支払は本店で行っているのですね」
「は、はい」経理部長は予想外の質問に戸惑った。
「給料計算の基となったタイムカードを出して下さい」
「売上をいくつか確認したい、ということでしたので、売上関係は用意してありますが、給料は用意ができていません」
「給料の計算をしていればタイムカードは集まっているハズです。それを見せてくれればいいのです」調査官は「ここには無い」という言い逃れを封じて催促する。
「売上の調査じゃないのですか。売上の調査だけかと思っていました」経理部長は抗議とも愚痴ともつかない返事を返した。
 「売上の調査」と言いながら、仕入や諸経費の調査をする例は少なくない。調査官は、売上の調査「も」したいことを強調しておいて、事前に証拠書類を隠したり、つじつま合わせの書類が偽造されるのを防ぐような事前連絡をするのだ。
 特に給料の水増しは、後からでも賃金台帳などの書類を作ることができるので、調査の時までそのままになっていることがあるから、給料を調査することは一切言わないのだ。
「レンタル店では全員がタイムカードを使用していますが、本社では使用していない者が何名かいます」
 経理部長の答は「本社に架空社員がいます」と言っているようなものだ。パートやアルバイトが多いレンタル店ではもちろんのこと、業種的にもタイムカードが使われているはずなのだ。
「タイムカードを使用していないのはどなたですか」
「社長と、役員です」
 「それだけですね」調査官は、確認しましたよ、という表情で経理部長の顔を覗き込む。
「いえ、他にも営業とか、店舗回りの運転手とか、タイムカードが無い者がいます」
「タイムカードがなければ残業の計算ができないではありませんか」
「残業時間は各社員の自主申告にしています。だからと言って全額支払うわけではありませんがね」
「自主申告に使われた用紙を見せて下さい」
 タイムカードを使用していない社員がいるのは事実だ。しかし、残業時間の計算の基となる記録は必ずあるはずで、調査官はこれを誘導尋問のごとく提示させる。
 残業記録に氏名のない社員は架空社員と見て間違いはない。

有給休暇の整理簿の確認

 有給休暇や病欠、その他の休暇の記録はどうされていますか」
「休暇の申請書があります」
 経理部長は何も考えずに答えるが、直ぐに調査官の意図することが分かった。
「休暇の申請書を出して下さい」
「ビデオ店の分は全部揃っていないと思います」
「ある分だけで結構ですから、出して下さい」
 タイムカードの無い社員がいるとしても、休暇の記録簿のない社員はいない。休暇の記録簿がないのは有給休暇のないパートと役員だけである。
 調査官は「ある分だけで結構です」と言ったが、ここには含みがある。給料の計算には休暇の利用状況が不可欠だから、全ビデオ店の休暇の記録が本店に届いていないはずはなく、「揃っていないところ」に架空の社員がいるとの予測が立つのだ。
 タイムカードや賃金台帳、休暇申請書を一人ひとり確認するのは大変なことだが、経理部長が「揃っていない」と言うのであれば、的が絞れる。
 タイムカードや賃金台帳を偽造して架空の社員に給料を支払ったことにする脱税は少なくないが、休暇に関する書類が抜けている場合が多い。架空の社員の休暇にまで気が付かないからだ。
 休暇に関する書類のない社員は架空社員と見て間違いはない。

雇用保険・健康保険の届出の確認

「雇用保険や健康保険の加入に関する書類を出して下さい」
「雇用保険や健康保険に加入していないと架空の社員とみなすのですか」
 経理部長は調査官の意図することが分かり、先回りして尋ねた。
「そうは言っていません。社員の実在を確かめる一つの方法です。疑っているのではありません」
 申告内容が正しいことを確認するのが税務調査である。それが税務署の表向きの姿勢だ。だが、疑いの目で物事を見なければ適切な判断ができないのも事実だ。
 雇用保険や健康保険の加入は法律で義務付けられている。フリーターは給料の手取額が1円でも多い方がいいとして、これらの保険の加入を拒むようだが、普通の社員にそれはない。ましてや雇用不安のこの時代に千円前後の雇用保険の負担を拒否する社員はいないのだ。
「健康保険に加入していない社員もいますよ」
「どなたが加入していないのですか。先にそれを教えて下さい」
 雇用保険や健康保険の未加入者を一人ひとりチェックするのは大変だ。経理部長が「加入していない社員がいる」というなら調査の手間が省けるのだ。
「誰といって覚えているわけではありませんし、そのような名簿があるわけではありません。賃金台帳を見て、保険料の控除のない社員が未加入者です」
 優等生的な答えだ。保険料を引いていなければ保険に加入していないと言うのだ。だが、そんなことでは調査官は騙せない。架空の社員だからこそ、雇用保険に加入したことにして保険料を控除し、健康保険料を控除したことにするのだ。
「雇用保険の番号や健康保険の番号を社員ごとに控えていると思います。それを見せて下さい」
「保健関係の書類の整理が悪くて、全部揃っているかどうか分かりません」
「全部でなくてもかまいません。見せて下さい」
 保健関係の番号は退職時に必ず必要となるから、揃っていないということはない。揃っていないということは、そこに架空の社員がいるということだ。

給与支払総額等の確認

「例えば3月の給料ですが、この支給総額はどのように計算されたのですか」
「給与の総額ということですね。それは、コンピュータで計算したものです」
「なるほど。では、コンピュータの集計表を見せて下さい」
「多分保管はしていないと思います」
 経理部長は調査官が調べようとすることが分かったので、逃げの答弁をした。
「コンピュータは以前のデータも打ち出せますよね」
「はあ、多分。やってみます」
 脱税には必ず足跡が残る。思い付きで給料の水増しをすると、50何円とか100万円とか、端数の付かない綺麗な数字が水増し経理される。とりあえず現金は引き出しておいて、つじつま合わせの賃金台帳は後から作る、という場合には綺麗な数字が水増しされるものなのだ。
 そして、社員のほとんどが振込払いであるのに、一部の社員だけが現金払い、というのも思い付きの脱税に多い。
 給料の水増しによる脱税は簡単だが、その調査も簡単なのである。

6:在庫調査