税務調査は事前に連絡があるのが普通だ。顧問の税理士を通して連絡してくることが多いが、企業に直接連絡してくることもある。何月何日から何日間ほど調査したいが、都合はどうだろうか、という連絡だ。 税務署の調査は任意調査である。任意調査とは、調査を受ける企業側の同意が必要ということで、事前に調査の連絡がなされるのだ。他方、ある日突然に調査官がやって来て、会社の中を隅から隅までひっくり返すように調べる調査もある。国税査察官(マルサ)が裁判所の捜索令状を受けて一方的に行う強制調査だ。この場合には企業側の同意は必要ない。査察官は一方的に机や書棚を捜索し、必要な書類は押収していく。 任意調査と強制調査は天と地ほどの違いがあるのだが、両者の中間的存在に「現況調査」がある。現況調査は法律的には任意調査だが、事前の連絡なしで、ある日突然調査に訪れる。事前に連絡をすると証拠となる資料を隠されてしまい、適切な調査ができないと思われる場合に、調査先に出向いて証拠を隠せない状態にしておいてから、調査の同意を求める手法だ。 現況とは現在の状況、すなわち、ありのままの状態をいう。現況調査は現況を押さえることによって、調査を確実なものにする狙いがある。 現況調査は調査官にとっては都合のいい手段だが、善良な納税者の心証を損なう。そのため、あまり用いられないのだが、最近は経験の浅い調査官が業種に関係なく現況調査をする傾向にある。
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現況調査ではここを見る
・売上の記録
メルトダウン洋菓子店はケーキや洋菓子を製造販売する企業。月曜日の午前10時、社長の自宅と本店に調査官が数人ずつ訪れた。事前連絡のない現況調査だ。
土曜、日曜は銀行が休みのため、売上金は銀行に入金されないから、月曜日の朝には、金曜、土曜、日曜の3日分の売上金が保管されていることを見込んでの月曜日である。
社長やその家族が売上金を管理しているなら自宅に、それ以外の社員が管理しているなら会社に、売上金は保管されているはずである。 「週末の売上金やレジペーパーはどこに保管されていますか」 調査官は社長の自宅と本店とで同じ質問をする。あくまでも任意調査であるから、家や会社の中を勝手に捜索することはしない。 「会社の金庫です。家にはなにも置いていません」 自宅には何もないと判断した調査官は、社長と一緒に本店に行き、金庫の中を確認する。 最初はレジペーパーと現金の照合表を求める。誰がレジを締めようとも、レジの中の現金とレジの本日売上高とを照合した書類は残っているはずだからだ。 「照合表を見ますと、『レジ合計』の他に『会館』という項目がありますが、これは何でしょうか?」 「近くの記念会館に配達した売上です」 「配達の売上はレジを打っていないので別項目になっているということですね」 調査官はこのようにしてレジを打っていない売上を掴む。事前に調査の連絡をすると、この照合表を処分されてしまうので、現況調査をするのだ。 「配達をするということは、事前に注文があるということですね」 「注文をいただいています」 「そうしますと、受けた注文を控えておく帳面がありますね。それを見せて下さい」 当然にあるものとして「見せて下さい」というのが調査官だ。無いとは言わせないのだ。 注文帳の提示を受ければ売上の調査は終わったようなものだ。レジをきちんと打っている店ではレジの売上を隠すことは不可能だから、売を隠すとしたら、レジを通らない売上に限られるから、注文の記録通りの配達売上が計上されているかどうかを調べれば、売上が正しいものかどうかが判明する。
・人件費の記録 「現在使用中のタイムカードを見せて下さい」 「当社はタイムカードを廃止しています」 「パートの給料はどのように計算されるのですか?」 「時給で計算しています」 「その勤務時間はどのように管理されているのですか?」 「それぞれの店で店長が記録しています」 「昨日の分まで、その記録を見せて下さい」 「今月分はまだなんです」 「まだって、そんなことはないでしょう。毎日記録しているはずです。記録してあるものを見せて下さい」 現況調査の強みはここにある。事前に調査の連絡をすればパートの給料計算の基となる資料を整理されてしまうが、抜き打ちの調査では現況を押さえることができるのだ。 メルトダウン洋菓子店はパートの給料を水増ししている。実在のパートにはタイムカードを打たせていて、賃金計算の際にこれを出勤記録帳に転記し、併せて架空パートの出勤記録を捏造していたのだ。パートの出勤記録は必ず存在し、必ず前日まで記録されているものなのである。 「店長の記憶で書いているようです」 「20名を超すパートの出勤状況を記憶するのは不可能です。どんな形にしろ、記録しているはずです」 「…………」 「店長をここに呼んでいただけますか。私から聞きましょう」 「実は、今月からタイムカードを使用することにしたのです」 こんな言い訳をしても無駄である。水増ししていたパートのタイムカードは無い。架空パートの存在は、こうして発覚するのだ。
・在庫の確認
「最近の在庫表を見せて下さい」 調査官は「在庫表はありますか」とは尋ねずに、「見せて下さい」と言い切ってしまう。「ありません」という答を封じるためだ。 「生もの商売ですから在庫はほとんどありません」 「生ものだからこそ在庫管理をきちんとされているのではありませんか。賞味期間切れの商品はどうされていますか?」 「処分品報告書があります」 「それに在庫も載っているのではありませんか。処分品報告書を見せて下さい」 調査官の質問に狂いはない。店頭の商品を処分するには、その報告書に現在在高が記載されるのが普通なのだ。 しかし、調査官が調べようとしているのは店頭の在庫ではない。洋菓子店の店頭在庫は50万円ほどで、これを偽ったとしても大した脱税にはならない。在庫が落とされているとすれば、工場に保管されている原料在庫の方である。 「同じように工場からの報告書を見せて下さい」 「原料は日持ちしますので、処分することはありません」 「月に何回かは在庫の報告はありますよね」 「月に一度は報告させています」 「そうです、それを見せて下さい」 工場から出される報告書に偽りはないと思慮できる。在庫の数字が改ざんされるのはその後である。現況調査では、現場から出される報告書など、改ざんされる前のデータを把握するのだ。 仮にこれらの報告書が無い場合には、調査官は自分の目で当日の在庫を確認することになる。 脱税の多くは、売上の一部を隠すこと、人権費を水増しすること、在庫を過少に計上すること、によるものといわれている。いずれも、領収書や請求書を偽造したり改ざんする必要が無く、仕入や諸経費を水増しすることよりも簡単になし得るからだ。 現況調査は、売上、人件費、在庫、これらを確認するためになされるのである。
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